バネらないという価値観の創造~360°Hinge~
こんなヒンジ(丁番)を作りました。その名も360°Hinge(スリーシックスティーヒンジ)
装用者のお顔のサイズや形状に合わせて広げたり、閉じたり、
更に上に上げたり下に下げたり、自由に360度どこにでも調整出来るヒンジという物が
欲しかったのです、既存のパーツでは既に色々なメーカーさんが
独自の工夫で付加価値をつけて提案されています。
既存のパーツでは僕の欲しい物が無かっただけのこと、
それならば作れば良い。というお話です。
数字が四つ並ぶアイウェアブランド、僕はそのデザイナーのMさんを尊敬しています。
↑分かる人には分かると思うし、業界人なら誰でもあのブランドね、と分かると思います。
尊敬という言葉すら生ぬるいかな?崇拝しているに感覚は近いかもしれません。
このMさんの開発したヒンジは、その後、多くのメーカーに影響を与えました。
その方向性は、いかにして装用者の顔をソフトに包み込むかという競争で、
このヒンジ一つで掛け心地という新しい土俵を作ってしまう程のインパクトなのでした。
M氏がどういった方向に業界を変えようとか政治的な意図があったとは
思えませんし、そもそも僕はM氏と密接な関係があった訳ではありません。
この点には推論の域を出ないのが本音です。
ただし、M氏の思惑はともかく、業界に与えた影響は間違い無く存在し、
そしてそのブランドの示した方向性は、調整しようとしまいと、
ある程度の顔の人なら誰でも最低限の掛け心地は
クリアー出来るという性能で、
その数字が四つ並ぶブランドは業界を動かしました。
ただし、このブランドは調整要らずという訳ではなく、
調整すれば更にその先がある懐の深さも持ち合わせていました。
ところが、サッと掛けさせた瞬間のお顔に与える圧の少なさ、
それが故に調整の必要性を一般消費者には感じられない程の掛け心地でした。
ですが、本来はそこから先の世界へ眼鏡士の方々が誘うのが我々の仕事の筈なのですが、
残念ながら、このブランドを扱っているお店の多くは調整の必要性に気づいていながらも
お客様の問題ないという言葉を真に受けて調整せずに渡してしまう事例が頻発しました。
(決して全てのお店でそうだったのではありませんよ。)
そして、更に驚くべきことは、このブランドはそれでも、
そこそこの掛け心地で使い続けられたのです。
他社のブランドの説明に相当のボリュームを割いていますが、
360°Hingeの開発意図を理解して頂く為には
このメガネ業界の歴史もご理解頂く必要があると思ったので、
もう少しお付き合いください。
このブランドが与えたインパクトにより、
次から次へとそのブランドを模倣したブランドが出てきますし、
時にそのブランドとは違ったギミックでありながら、
掛け心地という土俵でしのぎを削りました。
ただし一貫して日本発のジャパニーズブランドの多くは、
いかにしてお顔をホールドさせる圧を減らし、
それでも固定出来るか?つまり「どうやってバネらせるか?」
ここに力を注ぎ開発しました。それがおよそ20年続いたのです。
この結果何が起こったのでしょう?
それは「フィッティング軽視の業界としての傾向」なのです。
最近のフレームは掛け心地が良いから、
フィッティングにそれ程会社としても
注力しなくとも顧客満足度は維持出来る。
この様に僕に言わせれば業界も消費者もミスリードさせてしまう事態が生じました。
この20年間も、そして今もフィッティング軽視の風潮は継続中だと言えます。
僕は吉祥寺で眼鏡店の経営もしていますが、
僕のお店と数字が四つ並ぶブランドとはご縁がありませんでした。
それでも僕はこのブランドの動向は常にチェックしていました。
そのうち僕は自らもデザインを手掛けるようになったことは、既にこのコラムページでもご紹介しています。
そして僕はic!berlinという、これまたエポックメイキングなドイツのブランドと出会います。
数字が四つ並ぶ(ええいもう面倒くさい。名前出しちゃえ)
999.9というbrandは、ヒンジの構造で独自のマーケットを切り開き、
更に新しい掛け心地という新機軸で、競争の土俵も創造しました。
そこにこのic!berlinというbrandは、
軽くて、馬鹿みたいに丈夫という個性を掲げて
日本のマーケットに殴り込み、ビッグビジネスを成し遂げました。
このic!berlinは、シートメタルという
新ジャンルを作ったbrandとして知られています。
シートメタルとは0.55mm(ブランドによって板の厚みや素材は違います。)
の板をくりぬき、眼鏡の形にした上で、溝を掘ったレンズをフレームに
埋め込むというか挟み込む構造でレンズを保持しました。
またヒンジも独創的で、自分で脱着が出来て、更に大きなショックが加わった時には
逆にヒンジからはずれて歪みを抑えるなんて機能も組み込まれていました。
僕のbrandでもこのic!berlinの構造に強く影響を受け、
チタン製のシートメタルを採用しました。
間違い無くic!berlinと999.9は
僕のデザイナー人生に多大な影響を与えたと言えるでしょう。
僕が眼鏡のデザインを始めたのは創業してすぐだったので、
もうすぐ(令和二年2月現在)15年もの時がたとうとしています。
そして昨年秋に発表し、今年の春に発売開始した三型には
僕の手掛けるレチルドの新しいヒンジ
その名も360°Hingeというヒンジが搭載されたのです。
既に説明した通り、日本のマーケットは詳細なフィッティングなんて必要ないよ。
さっと掛けて掛け心地が良いフレームが販売員にとっても売りやすいし、
お客様も喜ぶよね。ともろ手を挙げて歓迎しているのはご理解いただけると思います。
では今回の360°Hingeは「バネらせる事」
を目的に開発されたのでしょうか?
答えはNOです。
僕は多少のバネ性が生じるのはあった
(実際に掛けると分かりますが、お顔の大きさに応じて多少バネります。)
としても、バネらせることを目的には開発していません。
僕がこの360°Hingeに求めた機能性は、
「千差万別な人の顔、その顔のサイズや形状に合わせて自由に調整出来る自在性。」
これを求めました。
僕が眼鏡業界を導こうとは思っていません、
でも999.9の開発者が意図していない筈の
フィッティング軽視の業界内の風潮は
決っして僕は喜ばしいとは思えませんでした。
僕は眼鏡を料理に例え、一流の職人が握った寿司と
回転寿司を比べてコスパが云々と論じますか?と
多くの価格だけで眼鏡を選ぶ方々に問いかけます。
すると多くの方はそういう事かと合点がいくようです。
実際にこの問いに対して、
それでも安い眼鏡とは何も変わらないと答えた人は皆無に等しいのです。
にもかかわらず、眼鏡に関しては多くの人が一流の職人が仕立てたメガネと
アルバイトさんが仕立てたメガネの違いに価値を見出せなかったのです。
その証拠に元々中小零細の眼鏡店の主流のマーケットは
既に8割は大手量販店でシェアは占められ、
中小零細眼鏡店は隅に追いやられてしまいました。
別にこの民族大移動の様なマーケットシェアの変容が、
一アイウェアbrandの出現によって
起こる筈もありませんし、責任を擦り付ける付けるつもりも毛頭ありません。
それでもこのブランド発の掛け心地が大切だというメッセージは
伝わってもフィッティングという作業の価値は
一般ユーザーには伝えられなかったのが
冷静な現状分析だと僕は思っています。
だけどね、本当に一流の職人がフィッティングしたメガネの掛け心地って、
天にも昇るような思いで幸せな気持ちにさせてくれます。勿論999.9だって
一流の職人が調整した方が更に良い掛け心地を味わって頂けます。
僕は僕のフィッティングのお師匠に、その夢心地な調整を味わわせて頂きました。
一方、どんなに調整の上手な人でも、これはやりようがないよね。
というフレームがあるのもこれまた事実なのです。
特にアセテートのフレームを仕立てる僕の狙いに合わせて形状変更し、
僕の目線で納得行けるレベルに
仕上げるのは本当に手間がかかりますし、
場合によってはお顔の形状によっては
「お客様のお顔にこのフレームは合わせられません。」
と僕もお客様も泣く泣く諦めた事は、お店をやっていれば何度もあります。
今回の360°Hingeはその立派な不幸であるシーンを少しでも減らす、
いや開発者だからこそ贔屓目たっぷりに言いますが、
お顔の形状によってお断りしなければならないシーンを劇的に減らすでしょう。
誰でもサンニシムラのNo632という番号のヤットコ
(眼鏡の調整機具でペンチの様な形状のツールです。)
があればどなたでも、自由に形を変えられるのです。
形を変えて自分のお顔に合わせるこの手間であり作業をフィッティングと言います。
そのフィッティングの調整幅を広げ、より多くの方に掛け心地よくお使い頂けるヒンジとなれたのです。
是非全国のレチルドの取扱店でこのヒンジの掛け心地を楽しみ味わって頂ければ嬉しく思います。
どの様にバネらせるかではなく、きっちり合わせればバネらせる必要すらなく、
しっかり調整されたフレームは、適度なホールド感を維持し、バネらせたフレームに勝るとも劣らない掛け心地をご提供出来るのです。
そういった意味ではレチルドはこの調整をしてくれる眼鏡店に卸したいと思っているし、
実際にレチルド取扱店の多くはこの素材をきっちり仕上げて最高の味わいで皆様をおもてなししてくれるでしょう。
畳むと隙間が出来ますがこの隙間が、そのフィッティングの自由度を生み出すのです。
レチルドという発明。
お店を創業する前のお話で、およそ15年前、 僕はチェーン店でお客様にお届けするサービスに限界を感じ、 自らが社長になり、マニュアル至上主義から、 マニュアルはたたき台に過ぎないのだから、 それから先のサービスレベルの差を企業体力と 定義付け、僕の持っているフルパフォーマンスで お客様をおもてなししたいと願い創業しました。 15年前僕は、漠然と社長になりたいと思いましたが、 その夢は不思議とすぐに叶いました。 創業してみると想像以上に 中小零細眼鏡店が大手量販店に 立ち向かうのは非常に困難だと感じました。 「何か武器がなくちゃいけない。 あっという間に結婚したばかりの 奥様を路頭に迷わせてしまう。」 と恐怖を感じたのをよくよく覚えています。 そして創業後すぐに僕は誰に教わるでもなく、デザインを始めます。 いや先生は沢山いました。だってうちのお店は幸いな事に世界の名品が 揃っていたのです。その魅力的な眼鏡フレーム全てが僕の先生でした。 何しろ自分の店のオリジナル商品が無いと僕みたいな 中途半端な眼鏡屋はすぐに廃業の憂き目に追い込まれると 思っていたので、デザインを教えてあげようか、 なんて珍妙な事をいうデザイナーの先輩もいなかった僕は、 見よう見まねすら出来ない状況でデザインの真似事を始めます。 つまり社長の次はデザイナーになるという 突拍子もない夢をぶちあげたのです。 これに付き合わされるうちの奥様はたまったもんじゃないと思いますし 良く2019年の今でも捨てられていないなと奥様の辛抱強さに感心します。 デザインを始めて14年経っても 未だに僕のメガネデザイン作業は手書きですが、 それは、その試行錯誤の過程を経て出来た荒業でした。 今では自ら描いた眼鏡フレーム図面を 二次元のデジタル化程度までは自分で出来るようになりましたが、 この「手書き」である事が非常に重要なファクターだった事に 気付くのはもっともっと年月を重ねてからでした。 そして僕が初期にデザインしたファーストデザイン。 「KEISUKE」と「AIRI」 が生まれそうになります。 これはAIRIです。 生まれたの過去形ではないのは、 このモデルは量産に至らずプロトタイプの作成で 終わってしまうからなのです。 このモデルは後のNAOにつながる構造が採用されています。 それが ディストーションレススクリューの開発です。 フレームに隙間を作りレンズの歪みを最小限に落とす事が 特殊な加工技術を有さない、どなたでもこの隙間とネジの 効果で、レンズは最適な視界を維持します。 更に、レンズの右下に何かロゴマークがプリントされています。 これはブランド名、プライオリティシートというbrandの「P」 をロゴ化しています。このデザインには実は妊婦さんが大切な 赤ちゃんを包み込むように、レンズを優しくホールドしたいという 意味を込めて妊婦さんのお腹をモチーフにしています。 ひっくり返すと分かりやすいかもしれませんね。 更にこだわったのはサイドビューです。 立体的な造形にこだわり、段落ち加工を随所に施します。 耳に掛けるという機能性だけでなく、アクセサリーとしての 造形美を表現したかったのです。 ただ、あくまでも人が使う、工業製品でもありますから、 掛け心地という部分でのこだわりも必要です。 僕はレチルドを起ち上げた時に宣言しましたが、 僕のデザインは、 道具としての機能性と アクセサリーとしてのファッション性。 その中間を目指します。と公言しています。 このデビュー作もそうでした。耳の部分にこんな加工をしています。 この様に耳に掛かる部分にも段落ち加工を施し、 そこにシリコンチューブを差し込み、グリップを良くしようと 目論みデザインしました。既製品を使うという事もあり、 この段落ち部分を綺麗に面一(つらいち:段落ち部とその両サイドが 同一面上に段差なくつながる事。)にはならずに苦労した覚えがあります。 このモデルはデビュー作という事もあって、 荒削りですし、何よりサイズの設定が日本人に上手くあっていなかったので、 量産しなかったのは、大やけどしなくても良いという意味では良かったと 思っています。まだ僕がデザイナーとしてサイズ感の 大切さに気づいていない頃の作品でした。 このAIRIを見ても分かるように、僕は最初から左右非対称の眼鏡を デザインしていたことが見てとれます。同様に「KEISUKE」も AIRIと同じく非対称でした。僕は手書きなデザインが好きなので、 手書きのラフスケッチを何度も何度も消しゴムを用い、 自分の中の狙ったスケッチを探していきます。 それは今のレチルドになっても変わらないデザイン工程です。 そしてこの非対称であるからこその、矛盾や閃きを得て 僕はレチルドという 世界初のコンセプトのアイウェアを開発する事になるのですが、 そのお話は、もう少し時計の針を回してからのお話になります。
ヒューマニティデザイナーとは?
「私、伊藤次郎は 眼鏡店の経営者であり、
眼鏡フレームのデザイナーでもあります。
時に自分のデザインしたフレームでお客様のお顔を彩ります。
日々提案し、
お客様のお見立てと僕の作った眼鏡で
最適な状態へと 導くことが
ヒューマニティデザイナーとしての皆様との関わり方だと考えています。
また、眼鏡をデザインするにあたり明らかに表情が変わる方が
枚挙に暇がない程にいらっしゃいます。
しかし、僕らは眼鏡だけでなく、
お客様の表情(かおつき)をデザインし、
見方、見られ方を変え、
人としての生き方さえも変わる
関わりでありたいと考えているのです。」
私はアイウェアデザイナーって言葉に違和感を覚えます。
少なくとも私の日々やっている仕事はアイウェアデザインではないのかなと思っています。
アイウェアデザイナーはフレームを使って、皆様のお顔をデザインします。
デザインを別の言葉で言えば、設計とも言えます。
でも度無の伊達メガネだって、勿論眼鏡の楽しさ、素晴らしさの一部は
ご提供出来ますし、楽しめますが、眼鏡の凄さってそこから先が醍醐味な気がします。
視力をはかり、度が入って、レンズを削ってはめて、骨格に合わせてフィッティングする。
この時点で初めてメガネは道具として機能します。
その道具として機能した眼鏡は時に皆様の表情(かおつき)すら変えて魅せます。
この表情すら変えられる職種こそが、ヒューマニティデザイナーだと思いました。
私は、その喜びをお客様と共有する楽しさを知ってしまったら、
眼鏡作りをもっともっと上手になりたいと
心底願うようになりました。
そしてデザインも視力測定も加工もフィッティングも
全部の工程に関わり、そして仕立てていくこの仕事の大切さを痛感し、
気づけば僕はこの仕事が大好きになっていたのです。
デザインに関して私が語るのはおこがましいのですが、
私は自然にインスパイアされて全ての眼鏡フレームをデザインしています。
それは自然に対するリスペクトだけでなく畏怖の念すら覚える事を自覚しています。
ブラジルの新首都ブラジリア、近年遷都をしたのですが、
その新首都の都市設計はシンメトリーに重きを置いて街をデザインしました。
すると町の風景は直線、直角に満ち溢れます。
そういったある意味幾何学模様の中に人は置かれると精神的に不安定になるようで、
ブラジリアでの自殺者の比率が急増したそうです。(ブルーバックス文庫 クリス・マクマナス著 非対称の期限より。)
私が非対称な眼鏡のデザインにこだわる理由もまさにそこにあります。
精神的な安寧に対する欲求は、シンメトリックにこだわっては本来満たされないのです。
日本人がシンメトリックにかつ秩序立てられた桜の木を見て美しいと感じるのでしょうか?
きっと違うでしょう。神の采配とも思われる絶妙なバランス感覚に心を揺り動かされるのです。
そのゆらぎとも言える多少のデザインの乱れが身に纏うアクセサリーであったり、衣服に私は
必要だと考えています。いわば自然を身に纏うデザインが私の究極的な目標とも言えますし、
自然に一番近いアイウェアがレチルドとも言えるのです。